福岡県の【筥崎宮】(はこざきぐう)に行ってきました。

TMの感想あれこれ

こんにちは、TMです。「フェリー さんふらわあ」に乗っていよいよ、九州に到着しました。このまま大分県で観光したいところですが、福岡県の「筥崎宮(はこざきぐう)」へ向かいます。

今回は、福岡県の「筥崎宮(はこざきぐう)」のご報告です。

別府観光港に到着しました。

別府観光港に到着しました。船内に到着のアナウンスが流れ、車の乗車準備を行います。車の乗車許可が出ると、船内アナウンスが流れるので、注意して聞いときたいです。

乗車許可が出たので、車に荷物を持って乗り込みます。車輌甲板の出入口のゲートは、まだ開かれていません。

出入口のゲートが、ゆっくりと開かれてきました。いよいよ「フェリー さんふらわあ」から下船です。ゲートが開くのを見て、子どもたちも大興奮です。カッコイー!

ありがとう!「さんふらわあ」、行って来まーす!外から見ると、「フェリー さんふらわあ」の大きさがよく分かります。

筥崎宮(はこざきぐう)

別府観光港から車で、約2時間半で福岡県の「筥崎宮(はこざきぐう)」に到着しました。

「筥崎宮(はこざきぐう)」は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。 御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后、玉依姫命がお祀りされています。

「筥崎宮(はこざきぐう)」は、テレビ番組「突然ですが占ってもいいですか?」で、木下レオンさんが紹介されていた神社です。「勝運の神」として知られています。

「勝運の神」の由来は、鎌倉時代の蒙古襲来(元寇)の祭に亀山上皇が「我が身を以て国難に変わらん」と当宮に敵国降伏の御宸筆を下賜し、日本の安寧を祈られ必勝を祈願したところ、俗にいう神風が吹き蒙古軍は撤退し未曾有の困難に打ち勝ったことから、「勝運の神」として全国に知られたそうです。歴史では、足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を辿りました。江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政、以下歴代藩主も崇敬を怠ることはなかったそうです。

地元福岡ではプロ野球球団の福岡ソフトバンクホークスやJリーグのアビスパ福岡、プロバスケットボールのライジング福岡などが、毎年必勝祈願をすることで有名な神社です。

創建の時期については諸説あり断定することは困難ですが、古録によれば、平安時代の中頃である延喜21年(西暦921)、醍醐(だいご)天皇が神勅により「敵国降伏」(てきこくこうふく)の宸筆(しんぴつ)を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923)筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)より遷座したことになっています。創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしたそうです。

一之鳥居「筥崎鳥居」

「筥崎宮(はこざきぐう)」に行くと最初に見えるのが、一之鳥居です。

一之鳥居は慶長14年(1609)、藩主黒田長政が建立したとその銘にあります。この鳥居の柱は三段に切れ、下肥りに台石に続いています。笠木島木(かさぎしまぎ)は1つの石材で造られ、先端が反り上がり、貫と笠木の長さが同じ異色の鳥居であり、「筥崎鳥居」と呼ばれているそうです。約400年前に作られた鳥居は、存在感があります。
国指定重要文化財です。

手水舎(てみずしゃ)

参拝をする前に、まずは手水舎で清めます。
水は古くから、けがれを洗い流すものと考えられていて、お神様にお参りする人はまず身のけがれを手水舎で落とします。手と口を水で洗うことで、全身のけがれが落ちると考えられています。
忘れず、まずは清めてから参拝しましょう。

銭洗御神水(ぜにあらい ごしんすい)

手水舎の横に銭洗御神水があります。銭洗御神水(ぜにあらい ごしんすい)は、金銭をてぼに入れ御神水で洗い清めて心清らかに福寿開運を念じます。持ち帰ったお金はご使用いただく事で世の中を巡り福を授かると信じられています。TMも硬貨を清めてみました。

硬貨を御神水で洗った後、水をふき取らないと財布がボトボトになるので、ハンカチやハンドタオルなどの用意を忘れないようにしたいです。

お潮井浜の真砂

博多では、筥崎宮前の海岸の真砂を「お潮井」というそうです。これをもって身を清めます。春秋の社日祭の「お潮井」は特に尊いものとして、あつかわれています。
お潮井(真砂)の入った「てぼ」と呼ばれる竹で編んだかごを玄関や戸口に備えて、朝夕に身を清め家の出入りに際して身に振りかけて災難除けを願います。また、豊作や虫除けを祈って田畑にまいたり、家の建て替えにあたって敷地にまいたりと、このお潮井の信仰は古くから博多の日常生活の中に根付いている風習となっていて、ありがたい、お砂です。

湧出石(わきでいし)

この石に触れると運が湧き出るといわれており、運気アップ、招福開運を願って多くの参拝者が触れていかれます。また、この石には古くから、「国に一大事があるとき、地上に姿を現す」との言い伝えがあります。TMも直接さわらさせていただきました、御利益をいただきたいですね。

楼門(ろうもん)

文禄3年(1594)筑前領主小早川隆景が建立、三間一戸入母屋造(さんけんいっこいりもやづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)、建坪はわずか12坪ですが、三手先組(みてさきぐみ)といわれる枡組によって支えられた、83坪余りの雄大な屋根を有した豪壮な建物です。「敵国降伏」の扁額(へんがく)を掲げていることから伏敵門とも呼ばれています。
扉の太閤桐の紋様彫刻は江戸時代の名匠左甚五郎氏の作だそうです。
迫力、存在感があり見る価値のある門だと思いました。
国指定重要文化財です。

さざれ石

「さざれ石?」なんか聞いたことあるなぁ?と思っていて説明を読んでみるとなんと!この石は国歌君が代に詠まれている「さざれ石」だそうです。まさか実物が見れるとは、思いもしませんでした。「岐阜県と滋賀県の県境の伊吹山の麓に産し、学名を石灰質礫岩と云い、永年の間に雨水で溶けて生じた粘着力の強い乳状液が、小石を凝結して次第に巨岩となり苔むす。」と書かれていました。

大楠

他にも見どころが多くあるのですが、気になったのが、樹齢800年の大楠でした。まるで、神様のようにも感じます。大楠は、ずっとこの場所で、色々なことを見てきたのでしょう。800年これからも、歴史を刻んでいくことをお祈ります。

龍神様?

子どもが、あれっいないと周囲を確認したら、鳥の石造の上に座っていました。思わず写真を撮り確認するとまるで、龍のような緑色の光が写っていました。不思議な現象でした。何かいいことがあるといいなぁ。

「筥崎宮(はこざきごう)」の参拝も終えて、車で地元へ帰ります。途中、広島県福山市に泊まることにしました。福山市へ向かう途中、神村西付近で、虹がかかっていました。なんか今日は、不思議なことが起こります。とにかく、無事に事故無く旅行をしたいです。

福山市については、福山市立動物園について書きたいと思います。
これからも、やりくり上手をめざします。

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